夏の風物詩といえば、花火!
夏の風物詩、花火。
浴衣を着て、ビールや屋台グルメを楽しみながら、空を見上げると色鮮やかな打ち上げ花火、まさに楽しい夏のワンシーンですね。
ですが、そんな楽しい夏も、新型コロナウィルス感染拡大の影響により、ここ何年か自粛を余儀なくされていました。
新型コロナウィルス感染症が第5類に移行したことにより、様々な規制が緩和され、今年は各地での大型の花火大会が復活、楽しみにしている方が多くいるのではないでしょうか。
日本各地で行われる花火大会
ラフター君の住んでいる大阪では、先月に天神祭が行われ、4年ぶりに奉納花火も復活しました。フィナーレを飾る約3000発の花火は圧巻ですね。
130万人以上が訪れると言われるこの天神祭りですが、今年はこれまでにないくらい、大阪天満宮の周りが人で埋め尽くされていた気がします。まさに、戻ってきた大阪の夏!
祇園祭、天神祭りと関西の大きなお祭りは7月に行われましたが、花火大会は8月が本番、お盆の時期位まで、毎週末の様に各地で、大規模な花火大会が日本各地で行われます。
特に歴史が長く、規模が大きいのが「日本三大花火大会」と言われる花火大会です。
■日本三大花火大会
全国花火競技大会「大曲の花火」(秋田県大仙市)
長岡まつり大花火大会 (新潟県長岡市)
土浦全国花火競技大会 (茨城県土浦市)
■日本最北・最南の花火大会って?
ちなみに、日本最北の花火大会は、北海道の稚内みなと南極まつり大花火大会。
最北端の地・北海道稚内市で行われる南極祭りの花火大会で、2000発の多彩な花火が海面を染め上げます。
最北なのに、どうして稚内で南極まつりなのでしょうか。
その理由は、稚内は南極観測で活躍した樺太犬・タロとジロの故郷であり、観測に使われた初代砕氷船の名「宗谷」も稚内の地名から付けられるなど、稚内と南極は深い関わりがあるからだそうです。
対して、日本最南の花火大会は、沖縄で開催される花火大会でしょうか。
ビーチに近いリゾートホテルが多くある沖縄、年間を通して多くの花火大会が開催されているようです。
このように、日本の北から南まで行われている花火大会。
その花火はいつ頃から、私達の間で楽しまれるようになったのでしょうか?
花火の始まり
花火の歴史は、花火に使用されている火薬の一種、「黒色火薬(こくしょくかやく)」の発明から始まりました。中国の唐の時代、黒色火薬は、錬丹術の過程で偶然発見されたといわれています。
錬丹術というのは、不老不死になるための霊薬を人の手で製造しようとする術のことで、その歴史は紀元前まで遡ります。
中国で発明された火薬はイスラム諸国を経由してヨーロッパに伝わり、後のルネサンスによって発展を遂げました。ヨーロッパでは火薬を軍事使用するだけでなく、王侯貴族の抱える職人たちが観賞用の華やかな花火を開発しました。色つける研究も重ねられ、19世紀には鮮やかな色火が得られました.
いつから花火は日本人に親しまれているの?
日本に火薬が伝わったのは16世紀。戦国時代に、黒色火薬が火縄銃とともに伝来しました。武器の他、合戦の合図である狼煙にも使われていたそうです。
花火を見た日本で火薬が戦のためだけでなく、鑑賞用として使われるようになったのは、江戸時代に入ってからでした。
火薬は戦のための道具でしたが、戦乱の世が終わり、江戸時代になって平和が続くと火薬は、続くとその役割が変わっていったのです。
この頃の花火の色は、使われていた火薬が黒色火薬のみだったため、赤橙色が中心だったそうです。「和火(わび)」と呼ばれています。
明治時代になると海外から花火に色を付ける薬剤や金属が入ってきたことから、色鮮やかな花火、「洋火(ようび)」が普及していきました。
慶長18年(1613年)には、駿府城で徳川家康が花火を見たという記録があります。中国の人が披露したものでしたが、一緒に鑑賞していた砲術隊が三河(現在の愛知県)に技術を持ち帰りました。
江戸時代に火薬を扱うことを許されていたのは三河鉄砲隊のみということもあり、三河で花火が発展していきました。
日本最古の花火大会である隅田川の花火大会が始まったのは、8代将軍 徳川吉宗の時代、享保18年(1733)です。
当時の江戸は、大飢饉や疫病の流行により、沢山の死者がでていました。死者の弔いと災厄除去を祈願して両国川開きが行われました。この川開きの初日に花火が打ち上げられたのです。
家族や仲間で楽しめる手持ち花火
元来、花火は慰霊や疫病退散が目的の行事だった花火大会。
現在では、天神祭のような奉納花火もありますが、エンターテイメントとして楽しんでいる人が多いのではないでしょうか。
そして花火は、花火大会にでかけなくとも、楽しむことができます。
そう、手持ち花火。
夏になるとスーパー等に並び、手軽に購入できて、家族や友達とワイワイ楽しむことができる手持ち花火。
キャンプの夜などにも欠かせないものですね。
手持ち花火には色々な種類があります。皆さんも見たことがあると思われる
代表的な3つを紹介しましょう。
1.ススキ花火
最も一般的と言っても良い花火かもしれません。
火薬が紙に包まれており、先端部分に火をつけます。するとススキのような見た目の火花が勢いよく出てきます。見た目も派手で、色が変化することもあります。
2.スパーク花火
スパークと言う名前の通り、パチパチといいながら火花を散らすように燃えていきます。
小さめのスパーク花火は、ケーキに刺して誕生日を祝ったりしているのを見たことある人もいるのではないでしょうか。
3.線香花火
詰め合わせの花火の締めとして、最後にやる人が多いのではないでしょうか。
火をつけてから、様々な燃え方をし、最後に儚く散っていく線香花火。
ご存じの方も多いと思いますが、それぞれの燃え方には名前がついています。
『蕾』
点火とともに、どんどん大きくなっていく火の玉。花を咲かせる前に見立てて「蕾」と呼びます。
『牡丹』
パチッ、パチッと一つずつ、力強い火花が散り出します。
『松葉』
やがて勢いを増し、「松葉」のように次々と四方八方へ火花が飛び出します。
『散り菊』
勢いにあった火花が一本、また一本と落ちていく「散り菊」。火の玉が色を変え、やがて光を失った時、線香花火の一生は幕を閉じます。
日本人に一番親しまれてきた情緒溢れる線香花火。その点火から光を失うまでは、人の一生を表しているとも言われています。
また、手持ち花火は、この線香花火が始まりでした。
花火が庶民に楽しまれるようになった江戸時代。細い藁すぼの先に火薬をつけた花火を、香炉や火鉢の灰に立てて遊んだことが始まりとされています。
西日本と東日本では、線香花火の形が違っているのをご存じでしょうか?
藁すぼを持ち手とした線香花火は「すぼ手」と呼ばれ、関西でメジャーな線香花火のスタイルです。
関東では稲作がそれほど盛んではなく藁が入手困難だったので、江戸で「すぼ手」は広まらず、代わりに細長くカラフルな和紙で火薬を包んだ「長手」が流行します。これは現在関東を中心にスタンダードとなっている線香花火と同様のものです。
東日本出身の私は、ずっとカラフルな和紙の「長手」しか見たことがありませんでした。
線香花火は、夏の風物詩であるだけでなく、日本の文化であり、職人の技術の結晶です。
しかし、
安価な中国産の線香花火が大量に国内に出回ったため、昭和60年頃から線香花火屋の廃業が相次いでしまいました。
300年の歴史、江戸時代から続く花火の象徴を失くしてはいけない、ということで老舗の花火問屋さんを中心に結束、新たな線香花火の生産を呼びかけ、現在では、3社が国産の線香花火の製造を担っています。
ギフトに!国産 高級線香花火はいかがでしょうか?
国産線香花火の製造社である筒井時政玩具花火製造所の線香花火は、淡い和紙は草木染めで染色し、職人の手によって一本一本丁寧に縒りあげられています。
線香花火の持ち手部分を花びらのように仕上げられた「花々」
春夏秋冬をイメージした色で染められた桃色・水色・橙色・白色の線香花火がセットになった「蕾々」
火をつけてしまうのがもったいない、綺麗で可愛らしい線香花火。
線香花火は、「熟成」によって味わいが深まると言います。
ひと夏で使い終えるのではなく、しっかりした箱で湿気をさけて保存し、翌年の楽しみにするのも一興です。
来年も一諸にやりましょう、と大切な人への贈り物に、選んでみてはいいかがでしょうか。
■筒井時政玩具花火製造所
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